福岡地方裁判所 昭和41年(ワ)398号 判決 1967年10月06日
原告 安村佳子
被告 国
訴訟代理人 斉藤健 外六名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、原告が昭和三六年八月中旬ごろから頭痛を覚えるようになり同年九月六日福岡市浜の町病院に入院して治療を受けたが病状が悪化したので、同月二五日九州大学医学部附属病院第一外科の北村医師の来診を受けたところ、小脳腫瘍の疑ありと診断されたため同月二六日右附属病院第一外科に入院したこと、精密検査の結果同月二九日同病院第一外科の北村・松角・木下医師らにより手術が行われたが手術およびその後の経過は良好であつたこと、同年一〇月一日看護婦岡ヨシエが原告の身体を清拭した後病室を立去る際ベツドの金枠を元どおりにかけなかつたこと、原告がその後約二週間意識を回復せず重篤状態を続けた末同月一五日に至り意識を回復したが眼震および言語障害の症状を併発するに至つたこと、その後快方に向つたので同年一二月一二日同病院を退院したことはいずれも当事者間に争いがなく、<証拠省略>を綜合すれば、原告はその後昭和三七年九月から同年一二月まで、および昭和三八年四月から昭和三九年四月までの二回に亘り北九州市小倉区、小倉労災病院神経科に入院して治療を受けたが、現在もなお小脳腫瘍摘出後の後遺症として運動失調が左手足にありその他眼震および軽度の言語障害等が続いていることが認められる。
二、原告は前記原告の諸症状は看護婦岡ヨシエの過失によりベツド金枠の留金をかけ忘れたため原告が床上に顛落して手術個所附近の後頭部を打ち脳内溢血を起した結果発生したものであると主張するのでこの点について考察する。
前記争いない事実に証人松角康彦の証言により真正に成立したと認められる<証拠省略>を綜合すれば次の事実が認められる。
(一) 当時九大附属病院においては看護付添につき基準看護で一類看護という方法により通常は全部病院の看護要員で看護するという体制をとつていたが、特に重症患者については家族の申出でにより主治医が相当と認めた場合は家族の付添を許可していた。本件の場合原告は入院当初においては二階の一〇号室(合い部屋)に居たが昭和三六年九月二九日手術当時の原告の病状は危篤状態であり原告の父親から付添の申出でがあつたので病院側は家族の付添を許可し、同日手術直後原告は二階の一号室(個室)に移り、その後は原告の父、母、兄が交替で終始原告に付添つていた。
手術後三日目の同年一〇月一日午前七時三〇分頃同病院の看護婦岡ヨシエは原告の身体を清拭するために右一号室には入つたが、右病室の枕もとに原告の父親安村秀雄が付添つて居たので患者の身体を裸にする都合上少時部屋を外して貰うように頼んだので秀雄は一時右病室前の廊下の長椅子のところで休憩していた。
同看護婦が寝台の金枠の留金を外した後でほぼ原告の身体を拭き終る頃秀雄は部屋に立戻つたので、同看護婦は秀雄に手伝つて貰つて原告の清拭を終るとともに右秀雄に対し「後はお願いします」といつて金枠の留金をかけないで同病室を立去つた。(同看護婦としては右秀雄が手術後引続き原告に付添つて慣れていたので同人が当然金枠を上げて留金をかけてくれるものと思つていた。)
ところがその直後右秀雄は原告に対し一寸洗面に行つて来るといつて席を外して廊下に出て洗面をすませて右病室に立帰ると原告がベツドより傍のリノリユーム張りの床上に顛落しているのを発見して、急ぎ原告をベツドに上げ留金をかけるとともに、看護婦らの援助を求めた。
松角医師は同日午前八時三〇分直ちに原告を診察しその際父秀雄から原告がベツドから顛落の際後頭部を打つたとの訴えにより検査したが手術創部分に出血等を認めず特に頭部の変化を認めず、同日行つた腰椎穿刺によつても脊髄液がわづかに血性であり、その種の手術を行つた一般の手術後に比較すると澄明であつた。
更に同医師は同年一〇月三日に原告が顛落した際の可能性として考えられる頭蓋内出血の有無を知るため内頸動脈写を行つたが原告には出血による脳動脈の変化を認めず、腰椎穿刺による脊髄液の所見も澄明であつて、出血があつた場合には髄液が再び血性になつて行くべき筈のものであるのにこれを否定するものであつた。
(二) 松角医師がこれまでに取扱つた臨床例によると、一般に小脳腫瘍の手術後死亡する者が約三割、症状に何らかの後遺症の残る者が約五割である。しかして手術直前に小脳篏頓ならびに脳幹部の篏頓の症状を呈した後は手術後その周辺の組織機関は腫脹、浮腫の状態を呈しやすく、しかも右症状は手術の三・四日後に極限に達することが多い。原告の場合は九大附属病院入院時既に歩行不能で小脳性の筋力の低下が左側に見られ、指鼻・指指の各試験がいずれも左側において顕著に障害され、また眼球震盪が高度に表われ、視力の低下、外旋神経の不完全麻痺の諸症状があり昭和三六年九月二九日危篤の状態で救急手術を行つたが、手術後四日目ごろから著名な右反応が表われて来た。しかも原告のように小脳腫瘍で脳の篏頓をきたした場合は篏頓した部分の小脳および腫瘍を取除く手術自体の結果は良好であつても、その周辺の組織機関の第二次的変化によつて後に四肢運動の失調、眼震、言語障害等を起す可能性のあることは医学的に当然予想されるところである。
<証拠省略>認定に反して原告の主張に副う部分は前掲証拠に照して採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
もつとも<証拠省略>の一〇月一日欄に「右側頭部打撲」なる記載部分があるが、証人岡ヨシエの証言によると、右は原告の父秀雄の申出により同女が看護日誌にその旨記入したもので、病院側でそのことを確認した上で記載したものではないことが認められるので前段認定を妨げるものではない。
しかして以上認定の事実から判断すると、原告が病室のベツドから床上に顛落した本件事故につき、九大附属病院の看護婦岡ヨシエが当時病床に付添つていた原告の父秀雄において適宜の措置をとつてくれるものと軽信して「後はお願いします」と云つてベツドの金枠の留金をかけないで病室を立去つた点についてはいささか軽卒のそしりを免れないが、右病室に付添つて看護の補助をしていた原告の父秀雄も適当な措置をとらないまま洗面に行つている間に本件事故を起した点については責任の一半を負うべきであり、したがつてこれを綜合的に考察すると病院側に法律上の過失の責任を問うことは妥当でないと考えられるのみならず、原告の主張するように原告が右顛落により手術個所附近の後頭部を打ち脳内溢血を起したとの点、およびその結果原告の現在の諸症状が発生したとの点についてはいずれもこれを具体的に裏付けるに足る証拠がない。
三、よつて原告の現在の諸症状は看護婦岡ヨシエの過失によりベツドの留金をかけ忘れたために、原告が床上に顛落して手術個所附近の後頭部を打ち脳内溢血を起した結果発生したことを前提とする本訴請求はその余の点について判断をするまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 岩崎光次 高橋弘次 池田美代子)